辻庵
辻庵でのゆるき流れを、軽〜くね
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


10年ひと昔 4
都内で働く事になりました。
海が好きで、divingを仕事にしたくて伊豆の下田で働き始めました。
いろいろあった中で、現場で一人のスタッフとして叩き上げ
チョット早めに中間管理職になり
ひょんなことから本社勤務になり管理する側になっていました。
それはそれでその時は満足していたかと云えば収入は確約されており
30代の私としては、この道で進むべきものと理解しておりました。
それでも時として、他に悩むことのないお気楽な私は自問自答する時がありました。
私の職業は?
私の生業は?
その時の私は私が成りたかった「ガイドダイバー」「庭師」「映画監督」
ではなく
職業は「株式会社○○○○」でした。
私が属する会社で如何に生きていくことが私の生業になっていました。
今思えば、それはそれで生きる道だと思います。
でも、その時はチョットとんがっていたので何だかでした。
当時のオーナーには今も感謝しております。
今でも尊敬しており、お世話になったと恐縮しております。
それでも、自分には後悔する決断があり
自分が新卒で就職する時
30歳を前に転職を考えた時
この道に進まなかったことを後悔していました。
今思えば無い物ねだりの自分だと思います。
ある夏の日。私は雲見で潜っている最中に腰をやってしまい
動けなくなり、リゾート最盛期の真夏の8月に1ヶ月入院しました。
会社ってイイですよね、ベットに寝ている私に変わらず給料を頂きました。
そこで、私は甘い汁を吸ってしまいました(笑)
でも、結局そういう全部が何となくネックになっていました。
自分は
「プロフェッショナルになるか!」
または
「ゼネラリストになるか!」
そんなことを考えるようになりました。
では、辻庵らしからぬ話しは、また次回に!
toyoshi
スポンサーサイト

10年ひと昔 3
前回「箱根のつつじ」の話しから、今回は「日光のつつじ」の話しへと。

箱根のつつじは、植栽の妙義のような美景です。

それとは対照的なのが「日光のつつじ」

私が特に感銘したのは「霧降のつつじ」。

これは絶景です。

私の身長を越すであろう「山つつじ」、その赤や白、そして紫の色は私が過去に認識していたような

色ではなく心を清々しくさせる色でした。

当時、私がご奉公していた職場は広大なる敷地を有しておりまして自然のど真ん中にいるような

恵まれた環境の職場でした。

その時の私の夢は、「脱サラして庭師」になる事でした。

実は今でもその夢は持ち続けており「庭師兼潜水士」が私の夢であります。


そんな霧降で「紫陽花や石楠花の接ぎ木」をしたり、桜の名所を作ろうと、植樹してたりしました。

ある年、つつじの名所作りを思った私は「つつじ」を敷地内に植樹しました。

季節はそれから夏から秋へ。秋を感じたらすぐに冬へと向かいます。

なんとなく上着の必要性を感じるような季節になったある日、

敷地内を巡回するに、アノ植樹したつつじが丸ハゲに葉っぱや枝を食べられていました。

ほとんど全てがまるまるやられてしまっていました。

犯人は同じ敷地内に同居する「鹿」と「猿」たちでした。

しかし彼らも巧妙で必ずほんの少しは芽なり枝を残し絶命させず来年の食料を残すのでありました。

やられた…

やられました…

確かに生き残っているつつじは私の身長を越えて、鹿には届かぬ高さだったりします。

あれだけの自然の中で花咲く木々の比較的少ない訳がわかった気もしました。

さぞ、今年植樹したツツジの新芽は美味しかったことだろうと。

やられた…のは私。

やらかしたのも…私。

あれは、あの頃の浅はかな私への罰でしたね。


あれから学習したのは

〜植えっぱなし、やりっぱなしはダメ!

育てる事、見続ける事が大事。

そして周囲の環境を良く観察することだと〜


実は10年なんてあっという間。

あの時、大事に育てていれば今頃名所になっていたかと思う。


それは、お店も一緒。

10年なんて、あっという間。

あの時、ああしていればと思うことが少なからずあります。

後悔しないようにしたいものです。


toyoshi















10年ひと昔 2
え〜と、「箱根のつつじ」のお話しの続きです。

元箱根や仙石原の「つつじ」も有名ですが、私は「蓬莱園」のつつじが好きでした。

当時、結構所用で湖尻から小田原まで車で下山する事がチョイチョイありました。

途中、どうしても睡魔に勝てず車を停めて休息するのですが、ひょんなことから

小涌園近くの蓬莱園で休息した事がありました。

それからと云うもの、休息なのか心の洗濯なのか冬場を除いて良く訪れたものでした。

ここの「つつじ」や「紅葉」は本当にオススメですよ。


当時、お世話になった箱根の職場では本当に色んなことを学ばさせて頂きました。

それが今でも私の財産であり武器でもあります。

それまでは、およそ畑違いだった「設備管理」や「植栽」の分野でした。

経験知識はなかったものの頭を下げて勉強させて貰いましたし

自分でも貪欲にものにしていきました。

もし、あの時のあの仕事量の経験がなかったら、私は独立をしていなかったかもしれません。

物事を全体を通して筋道を立てて理解し自分で行動し形に出来る事。


あの時に出逢った人達、仲間達と連絡や会うこともないですが、感謝しています。

追伸
仙石原の松月堂?の金時まんじゅう?は美味しかったなぁ〜

ではでは


toyoshi










10年ひと昔 1
2017年5月8日現在

今では咲いていたことすら忘れてしまった桜が散り、

そしてツツジが咲き誇る今。

毎年この時期になると思い出し、訪れたい場所があります。

それは、「箱根」と「日光」。

この話し、私の根幹になるような話なので

故に

だいぶはしょります。


その「ツツジ」。

箱根のツツジはご存知の通りかなり有名で、ホテルに咲き誇るツツジは鑑賞するに立派なものです。

そして

日光のツツジ‥‥

これは「山つつじ」で、その咲いた時の喜びはなんとも云えません。


今日は「箱根のつつじ」の話でも。

時は1999年3月。

私は箱根の湖尻なる場所に居ました。

3月と云えども、まだ冬。

その前の週には「新潟の赤倉」に居たので冬は慣れていると思っていたものの

箱根の冬は、雪国の冬とは違ったものがありました。

空がとっても低い、天使が降りて来そうな‥‥

薄暗い雲が低く立ち込め、太き木々の細き枝のみが山々に見られ、何とも云えぬ感じがしました。

ヴェルベットイースターの歌のように



何かの用で、元箱根から湖尻に向かう途中、オンボロ軽自動車のトゥデイのラジオから流れてきたのは



ユーミンの「春よ、来い」


思わず泣いてしまいましたよ(笑)。

何で泣いたかって?

ヘボい話しですが、

春を待つ思い‥‥

冬の寂しさ‥‥

これからの人生の不安、‥‥


あの時、私は32歳。

一年一年を、私なりに、その歳なりに一生懸命頑張っていました。


おっ!そうそう、この話しは真面目なお話しにする気はありませんので気楽にどうぞ。


とりあえず、今日は1999年3月まで。

辻庵開業まで、あと8年。


toyoshi
























上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。